2021年3月、ルネサスエレクトロニクスの那珂工場で火災が起きました。焼損したのはクリーンルーム全体の約5%にあたる面積、製造装置でいえば約2%です。

数字だけ見れば軽微に思えます。しかし300mmウェハーの生産ラインは停止し、影響は自動車産業全体に及びました。この記事では、なぜ2%の被害で工場が止まるのか、そして保険で戻せるものと戻せないものは何かを、装置と工場の構造から解説します。

※本記事は工場・装置のリスク構造を解説するものです。保険商品の内容や契約条件は個別に異なるため、実際の検討は保険会社・専門家にご確認ください。

何が起きたのか|2021年 ルネサス那珂工場の火災

項目 内容
発生 2021年3月19日 未明
原因 めっき装置での過電流による発火とされる
焼損面積 約600㎡(クリーンルーム全体1万2,000㎡の約5%)
装置被害 全製造装置の約2%が焼損
その他 純水供給装置・空調装置など用役設備の一部にも被害
影響 300mmラインが停止。自動車産業への影響は1.5〜2か月分との見方が示された

火元となっためっき装置は、薬液・電流・熱を同時に扱う装置です。半導体工場には、こうした「エネルギーと薬品を扱う装置」が数百台並んでいます。

なぜ2%の被害で工場全体が止まるのか

ここが半導体工場の特殊性です。理由は3つあります。

①クリーンルームは「ひとつの空間」

クリーンルームは、装置ごとに仕切られた部屋ではありません。清浄な空気が循環する、ひと続きの空間です。

したがって、一角で火災が起きれば煙・すす・消火剤が空間全体に広がります。焼けたのが600㎡でも、汚染は1万2,000㎡に及び得ます。燃えていない装置も、清浄度が回復するまで使えません。

②工程は一本の鎖でつながっている

半導体の前工程は数百工程の連続で、1つの工程が欠けると先へ進めません。装置の98%が無事でも、止まった2%がライン上にあれば、そこで流れは切れます。

「動く装置だけで生産を続ける」ということが原理的にできない——これが装置産業の他分野との違いです。

③用役が止まれば全装置が止まる

那珂工場では純水供給装置や空調にも被害が出ました。サブファブから供給される超純水・薬液・ガス・排気は、すべての装置が共有するインフラです。ここが損なわれれば、装置が無傷でも稼働できません。

この構造は停電・瞬低のときとまったく同じです。半導体工場は「共有インフラの上に装置が乗っている」構造のため、被害が局所でも全体に波及します。

保険で戻せるもの、戻せないもの

火災や自然災害に備える保険は一般に存在し、建物や設備といった物的な損害、そしてそれに伴う利益の減少を対象とする商品もあります。ただし補償の範囲・上限・条件は契約ごとに大きく異なります。

そのうえで、装置と工場の視点から見ると「お金で戻せるもの」と「戻せないもの」がはっきり分かれます。

内容 お金で回復できるか
装置・建屋 焼損した設備の再取得 できる(ただし後述の時間差がある)
仕掛品 処理途中だったウェハー 金額としては算定できる
時間 装置の納期、清浄度の回復、条件の再確立 できない
顧客との関係 供給が止まった間に他社へ切り替えられた分 できない
取引先の損失 部品が届かず減産した顧客側の損害 自社の保険の対象外となるのが通常

保険は「物」を買い戻せますが、「時間」と「信頼」は買い戻せません。そして半導体では、この2つこそが最大の損失になります。

復旧を長引かせる3つの要因

①装置は買ってもすぐ来ない

半導体製造装置は受注生産で、納期が長いのが通例です。保険金で同じ装置を発注できても、届くまでの期間は短縮できません。市場全体が好況で装置需要が高まっている時期であれば、待ち時間はさらに延びます(装置市場の動向)。

②清浄度を戻す作業が必要

煙やすすで汚染されたクリーンルームは、清掃してフィルターを交換し、粒子数を測定して基準を満たすまで戻す必要があります。装置の内部・配管まで汚染が及んでいれば、分解洗浄が必要になることもあります。

③「元どおり動く」ことの証明が要る

もっとも見落とされやすいのがこれです。装置を入れ替え、清浄度を戻しても、以前と同じ品質のチップが作れる保証はありません。

新しい装置は個体差を持ち、条件出しをやり直す必要があります。テストウェハーを流し、測定結果を確認し、歩留まりが基準に達することを確かめる——この検証工程を省略できないことが、復旧に月単位の時間がかかる理由です。

では何ができるのか

「保険に入る」以外に、工場と装置の側でできることがあります。

  • 生産拠点を分散する——同じ製品を複数拠点で作れれば、片方が止まっても供給を維持できる。ただし設備投資は倍かかる
  • 装置を分散配置する——同一機能の装置を離れた区画に置き、1か所の被害で全滅しないようにする
  • 用役系を冗長化する——純水・電力・排気など、共有インフラの経路を二重化する
  • 装置単位で被害を閉じ込める——発火リスクのある装置の材質・遮断機構・消火設備を見直す(那珂の火元がめっき装置だった点は示唆的です)
  • 顧客と在庫でつながる——一定量の在庫を持てば、復旧までの時間を稼げる

いずれもコストと引き換えです。すべてを備えれば競争力を失い、何も備えなければ一度の事故で市場を失う——この綱引きが、工場の設計思想に表れます。

✍️ ひとこと

装置の約2%の焼損で、300mmラインが止まる。調べていて印象に残ったのは、この数字の落差でした。クリーンルームも工程も用役もひと続きだからこそ、局所の被害が全体に広がります。

保険は物を買い戻せても、時間と信頼は買い戻せない。だからこそ、分散や冗長化という地味な備えに意味があるのだと思います。

— semisouchi.com 編集室

よくある質問

Q. 保険に入っていれば損害は回復できますか?

物的な損害や利益減少を対象とする保険は存在しますが、復旧までの時間や、その間に失われた顧客との関係までは戻りません。補償の範囲は契約ごとに異なるため、詳細は保険会社への確認が必要です。

Q. なぜ焼けていない装置まで使えなくなるのですか?

クリーンルームがひと続きの空間だからです。煙・すす・消火剤が空間全体に広がるため、清浄度が基準に戻るまで生産を再開できません。

Q. 装置を買い直せばすぐ復旧できませんか?

できません。半導体製造装置は納期が長く、さらに設置後も条件出しと品質の検証が必要です。この工程を省略すると、不良品を作ることになります。

Q. 地震のリスクはどう考えられていますか?

建屋の耐震・免震に加え、装置の固定(アンカー)や配管の耐震設計が重要になります。装置が倒れなくても、薬液配管が破断すれば被害は拡大します。

Q. 顧客側(自動車メーカーなど)の損害はどうなりますか?

部品が届かず減産した取引先の損害は、通常、供給元の保険では補償されません。だからこそ顧客側でも、調達先の分散や在庫の確保といった対策が取られます。

まとめ

  • 2021年のルネサス那珂工場火災では、焼損はクリーンルームの約5%・装置の約2%にとどまったが、300mmラインは停止した
  • 局所被害が全体を止める理由は①クリーンルームがひと続き ②工程が一本の鎖 ③用役が全装置の共有インフラ
  • 保険は物を買い戻せるが、時間と信頼は買い戻せない
  • 復旧が長引くのは装置の納期・清浄度の回復・品質の再検証という3つの避けられない工程があるため
  • 対策は拠点分散・装置の分散配置・用役の冗長化・発火リスクの低減・在庫。いずれもコストとの綱引きになる

工場を支えるインフラの構造はサブファブとは、装置全体の見取り図は半導体製造装置とはをご覧ください。

参考・出典