1980年代から1990年代、露光装置で世界を主導していたのはニコンとキヤノンでした。そのニコンが、いまASMLの装置と互換性を持たせるという方針を打ち出しています。

かつての王者が、競合の規格に合わせにいく。一見すると屈服のようですが、これは「どうすれば1台でも入れてもらえるか」を突き詰めた現実解です。

本記事では、ニコンの精機事業がいまどこにいるのかを数字で確認したうえで、ArF液浸の低価格化・ASML互換・マスクレスでの後工程参入という3つの手を整理します。キヤノンとは違う道を選んだ会社の話です。

ニコンと半導体装置

項目 内容
社名 株式会社ニコン(東証プライム: 7731)
半導体向け製品 ArF液浸・ArFドライ・KrF・i線の露光装置(NSRシリーズ)、MEMSステッパー
EUV 参入していない
精機事業
(2026年3月期)
売上収益1,672億円(前期比17.2%減)/営業損益45億円の赤字
他の事業 映像(カメラ)約2,900億円/ヘルスケア約1,119億円/コンポーネント約762億円/デジタルマニュファクチャリング
FPD露光装置 キヤノンと2社で世界市場を占有。ニコンは中小型(スマホ向け)で高シェア

まず押さえておきたいのは、ニコンにとって半導体露光装置は全社の一部でしかないことです。売上規模では映像事業(カメラ)のほうが大きく、ヘルスケアも1,000億円を超えています。

数字で見る「どこまで落ちたか」

2026年3月期の精機事業は売上収益1,672億円・前期比17.2%減・営業損益45億円の赤字。ArFドライ・液浸露光装置の販売台数減少が要因とされています。

規模感を示す数字があります。同社は2027年3月期について、ArF装置の販売台数を27台から29台へ増やす計画を示し、精機事業の黒字化を見込んでいます。

年間の販売台数を「1桁単位で積み上げる」規模——これが、EUVで年間数十億ユーロを売るASMLとの現在の距離です。

なお全社では2026年3月期に営業損失を計上しています。ただしこれは精機事業だけが原因ではなく、デジタルマニュファクチャリング事業(金属3Dプリンタ)で競争激化による減損損失を計上した影響が大きい点は区別しておく必要があります。

それでも製品ラインは広い

「ニコンは最先端から外れた」と言われますが、製品ラインナップ自体は前工程の各世代をカバーしています。

区分 製品 解像度 NA 用途・対応ウェハ
ArF液浸 NSR-S636E ≦38nm 1.35 クリティカルレイヤー向け
ArF液浸 NSR-S635E ≦38nm 1.35 最先端プロセス量産用
ArF液浸 NSR-S625E ≦38nm 1.35 ミドルクリティカルレイヤー向け
ArFドライ NSR-S333F ≦65nm 0.92 300mm対応
ArFドライ NSR-S322F ≦65nm 0.92 300mm対応
KrF NSR-S220D ≦110nm 0.82 300mm対応
KrF NSR-S215D ≦110nm 0.82 200/300mm対応
i線 NSR-SF155 ≦280nm 0.62 200/300mm対応
i線 NSR-2205iL1 ≦350nm 0.45 150/200mm対応
MEMSステッパー ― ≧1µm ― LED・MEMS・パワーデバイス向け

ArF液浸で解像度≦38nm・NA 1.35——これは光を使う露光としては限界に近い水準です。EUVがない以上ここが上限であり、その上はマルチパターニングで稼ぐか、ASMLのEUVを使うかという選択になります。

戦略①|ArF液浸を「安く」出す

ニコンが選んだのは、性能で正面から競うのではなく価格で入り込む道です。

具体的には複数の部品を自社製造することで装置全体のコストを下げる方針を示しています。ASMLが多数のサプライヤーを束ねる構造なのに対し、内製比率を上げて原価を削る考え方です。

狙う市場も明確です。

  • 成熟ノード——最先端でない量産ライン
  • 周辺回路——メモリのロジック部など、最先端層でない部分
  • メモリ
  • パワー半導体
  • 先端パッケージ関連

いずれも「EUVを使うほどではないが、ArF液浸は要る」領域です。新製品では、生産性を約1.5倍に高めたArF露光装置「NSR-S333F」を2026年後半に投入する計画も示されています。

戦略②|ASML製装置との互換性

ここが最も特徴的な一手です。

ニコンは2028年度に新型ArF液浸プラットフォームのプロトタイプを提供する計画で、その際にASML製装置との互換性を構築するとしています。大手半導体メーカーとの共同開発で進められています。

なぜ互換性が要るのか。理由は現場の事情です。

多くのファブは既にASMLの装置で揃っています。そこにニコン機を1台入れようとすると、レチクル(原版)の扱い、プロセス条件、ステージの規格——あらゆる面で別系統の運用が発生します。「安いから」という理由だけでは、その手間を越えられません。

互換性を持たせるというのは、「混ぜて使える装置」にすることで導入のハードルを下げるという発想です。単体の性能勝負ではなく、既にできあがった生態系にどう入り込むかという設計思想に切り替えたことになります。

同社は「業界スタンダード」ともいえるプロセス技術での新しいステージ、複数テナント共有の要件といった顧客ニーズを挙げており、2028年以降のDRAM・ロジック系3D化に対応する量産プロセスをターゲットに据えています。

戦略③|マスクレスで後工程に入る

3つめは、前工程とはまったく別の市場への参入です。

ニコンは2026年度から、半導体後工程向けの露光装置を販売します。同社にとって初の後工程向け露光装置です。

項目 内容
方式 デジタル露光(フォトマスクを使わない)
技術の出どころ FPD露光の技術を応用(複数の投影レンズを精密に制御)
解像度 ラインアンドスペース1µm
想定用途 パネルレベルパッケージ(ガラスなどを使う)
利点 フォトマスクを使う場合に比べ製造コストと期間を削減

フォトマスクを作らないという選択が肝です。先端パッケージングの配線は、品種ごとにパターンが変わり、量産数も前工程ほど多くありません。1品種ごとにマスクを起こしていては、コストも納期も合わない——そこをデータから直接描くことで回避します。

そして注目したいのは、この技術がFPD露光の応用だという点です。半導体で負けた会社が、ディスプレイで培った技術を持って半導体の別の入口から戻ってくる構図になっています。

FPD露光では日本2社が世界を握っている

意外に知られていませんが、FPD(フラットパネルディスプレイ)露光装置の市場は、キヤノンとニコンの2社でほぼ占められています。世界のFPDメーカーは、この日本2社なしにディスプレイを作れません。

強い領域
キヤノン テレビ向けなどの大型ディスプレイ
ニコン スマートフォン向けなどの中小型ディスプレイ

半導体露光装置のシェア表だけを見ていると「日本勢は負けた」で終わりますが、隣の市場では逆のことが起きています。そしてその技術が、前述のデジタル露光として半導体側へ戻ってきています。

キヤノンとの違い

同じ「EUVに参入しなかった2社」ですが、選んだ道は異なります。

キヤノン ニコン
既存世代の主戦場 i線(台数シェア約8割)・KrF ArF液浸・ArFドライ
微細化への別ルート ナノインプリント(型を押し付ける) ASML互換のArF液浸(既存生態系に入る)
先端パッケージング マスク方式・100×100mmの超広画角 マスクレスのデジタル露光・1µm
発想 別の物理原理で微細化に挑む 既存技術を安く・混ぜやすくする

キヤノンは「違う方法」、ニコンは「同じ方法を安く・入りやすく」。どちらが正しいかは、まだ結果が出ていません。

露光装置そのものの動作は露光装置の処理シーケンス、EUVがなぜ特別なのかはEUV露光装置の記事で解説しています。

✍️ ひとこと

かつての王者が、競合ASMLの装置と互換性を持たせる。調べていて印象に残ったのは、屈服にも見えるこの方針が、「どうすれば1台でも入れてもらえるか」を突き詰めた現実解だったことです。

キヤノンは別の原理を選び、ニコンは既存技術を安く、混ぜやすくする道を選んだ。同じ逆風の中で答えが一つではないところに、この業界の面白さがあります。

— semisouchi.com 編集室

よくある質問

Q. ニコンは露光装置から撤退したのですか?

A. していません。ArF液浸・ArFドライ・KrF・i線と製品ラインは維持しており、2026年後半にはArF露光装置の新機種、2026年度からは後工程向けのデジタル露光装置を投入する計画です。ただしEUVには参入していません。

Q. なぜASMLの装置と互換性を持たせるのですか?

A. 多くのファブが既にASML装置で揃っているからです。別系統の運用が必要になると、価格が安くても導入されません。混ぜて使える装置にすることで、導入のハードルを下げる狙いです。2028年度にプロトタイプを提供する計画です。

Q. ニコンとキヤノンはどちらが強いのですか?

A. 領域が違います。i線・KrFの台数ではキヤノンが優勢(i線で約8割)、ArF液浸はニコンが主軸です。FPD露光では大型がキヤノン、中小型がニコンという住み分けです。

Q. デジタル露光とは何ですか?

A. フォトマスクを使わず、データから直接パターンを描く方式です。ニコンはFPD露光で培った「複数の投影レンズを精密に制御する」技術を応用し、ラインアンドスペース1µmの解像度を実現しています。品種が多く量産数が前工程ほど大きくない先端パッケージングに向きます。

Q. 精機事業は黒字化するのですか?

A. 会社は2027年3月期にArF装置の販売台数を27台から29台へ増やし、精機事業の黒字化を見込むとしています。台数が1桁単位で損益を左右する事業構造です。

まとめ

  • ニコンはEUVに参入せず、ArF液浸以下の世代に軸足を置いている。2026年3月期の精機事業は売上1,672億円(-17.2%)・45億円の営業赤字
  • ただし製品ラインはArF液浸(≦38nm・NA1.35)からi線・MEMSステッパーまで広い
  • 戦略①は部品の自社製造でコストを下げ、ArF液浸を安く出すこと。狙うのは成熟ノード・周辺回路・メモリ・パワー半導体・先端パッケージ
  • 戦略②はASML製装置との互換性。2028年度にプロトタイプ。既にASMLで揃ったファブに「混ぜて使える」ようにする発想
  • 戦略③はマスクレスのデジタル露光で後工程へ参入(2026年度・ラインアンドスペース1µm・パネルレベルパッケージ向け)。FPD露光の技術の応用
  • FPD露光装置はキヤノンとニコンの2社で世界市場を占有。大型はキヤノン、中小型はニコン
  • キヤノンがナノインプリントという別原理を選んだのに対し、ニコンは既存技術を安く・混ぜやすくする方向を選んだ

同じ「最先端から外れた後に居場所を作る」話は荏原製作所やディスコにもあります。日本勢の全体像は日本の半導体製造装置メーカー一覧、工程ごとの勢力図は工程別・世界シェアまとめをご覧ください。

出典: ニコン「半導体露光装置」製品ページ(NSRシリーズの製品名・解像度・NA・ウェハサイズ・用途)/ニコン「セグメント別業績」(2026年3月期の各事業の売上収益)/EE Times Japan「『他社製との互換性追求』したArF液浸露光装置、ニコンが28年度に」(ASML製装置との互換性、2028年度のプロトタイプ提供、2028年以降のDRAM・ロジック3D化をターゲットとすること)/EE Times Japan「ニコン、半導体露光装置で巻き返しなるか:ArF液浸スキャナーを安価に提供」(部品の自社製造によるコスト削減、狙う市場)/ニュースイッチ「ニコンが初投入、半導体後工程向け露光装置の性能」(FPD露光技術を応用したデジタル露光、ラインアンドスペース1µm、2026年度販売、パネルレベルパッケージ向け)/ニュースイッチ「生産性1.5倍…ニコン、ArF露光装置の性能」(NSR-S333Fの2026年後半投入)